教育歴史

 

最近の薬学部事情(最近の薬学部事情)

2014年には、3回目の新国家試験が実施され、この結果には現実の厳しさに直面した学生も多いかと思われます。

原因として考えられることは、薬剤師になるためには、どのくらいの学力が必要かを知らずに入学している学生が多いことがあげられます。

薬剤師も看護婦も同等だなどと嘘を教えられているケースが目立っています。

現行の薬科大学(伝統校)は、旧制では、「薬学専門学校」と称されていたので、「看護専門学校」と同等と思う人もいるようです。「旧制の専門学校」とは現行の大学のことです。

ましてや、看護学校というものは、戦後できた専修学校(正規の大学ではない)であり、戦前には、看護婦さんになるための学校すら存在しませんでした。「同等」のわけがありません。

旧制薬学専門学校と旧制医学専門学校は、「就業年も同じで、給料も同じで、まったく同等だった。」と、直属の上司だった旧制薬学専門学校をご卒業された先輩に聞いています。

看護婦さんになるには、小学校を卒業してすぐに弟子入りする、徒弟制度で、見よう見まねで包帯の巻き方とかがわかればよいだけだったのです。

幼い弟妹が居る家庭では、小学校を卒業してすぐに、家へ仕送りするために看護婦さんになったものです。

日本赤十字出身者だけは、「正看」と言って、ナースキャップの線の数が違っていました。軍の管轄下におかれていて、従軍したため、名誉があるからのようです。薬剤師は従軍などしません。

戦後、専修学校(正規の「学校」ではない)として、看護学校があちこちに発足しました。

中学校を卒業したら、町医者の屋根裏部屋に寝泊りして、半日、医院のお手伝いをして、半日、医師会の看護学校に通って資格を取っていました。

資格が取れたら、数年間は、その医院で御礼奉公する約束で、給料をもらって、実家に仕送りしながら、資格をとらせてもらうのです。ところが、だんだん、資格を取ったら、御礼奉公をせずに消える人が多くなって、次第にこの制度も自然消滅に近い状況です。

私が若いころもまだ、「正看」が居ました。その後、廃止され、一括して、高卒または、准看で規定時間数働いた人で、国家資格を得た看護婦さんは、「高看」になりました。

最近では、「准看」(都道府県の認定資格)に対して、国家資格保持者を「正看」と呼ぶ人があらわれるようになったようですが、もう、「正看」はいません。

昭和の終盤から、看護婦さんになるための大学が出来始めて、看護学部について、私に尋ねる方は、結構いらっしゃいました。

私に尋ねる人なら大抵、
女性なら、
「看護婦さんでしょう?看護婦さんになりたい『なんて』いう子もいるんですよ〜???」

男性なら、
「看護婦になるのに、なんで大学に行かんにゃあ、いけんのんや?」
「看護婦になったら、勘当じゃー!」
とか、皆さん驚きの御様子でした。

とりあえず、私は、「大学は、婦長さんの養成学校です。」と答えるようにしていました。

国民全体が裕福になって、若い子たちが、7K・8Kの看護婦さんになりたがらなくなってきて、高校の看護科はほとんど廃止になっています。

平成にはいると、国立大学病院の併設看護学校(3年制)も、看護学部とか保健学部とかに順次昇格していきました。4年制になって、1年間の一般教養が増えただけで、履修内容は専門学校時代と、大してかわりはありません。

教員も、幼い弟妹が居る家庭では、家へ仕送りするためになる職業だと訊いたことがあります。

教員は、戦前の教育では、子供に「お国のために命を落とすのがすばらしい。」と教えるために、「先生になる」という確約が取れるなら、高等小学校さえ行けば、尋常師範学校に入って、お給料をもらいながら、先生になるための訓練を受けられたからのようです。

尋常師範学校は、高等小学校(2年)を卒業後、2年制です。卒業すれば、先生として働いて、御礼奉公すればよいだけです。

尋常師範学校を卒業すれば、高等師範学校(旧制中学・高等女学校の先生になるため)へ入れる可能性もあるということでしたが、実際は、数少ない費用が工面できる人だけでしょう。

高等師範学校に進学するのなら、旧制専門学校に相当します。

教員なら、高等小学校(2年)+尋常師範学校(2年)+高等師範学校(3年)で、合算すると7年の教育で十分でしょう。

薬剤師になるには、旧制中学または高等女学校(5年)+ 旧制薬学専門学校(4年)で合計9年はかかります。それだけ、薬学の学問的難易度が高いということに他なりません。

旧制の教育では、特に、女性は帝国大学には、入れないので、旧制高等女学校を優秀な成績でご卒業された方だけが入学でき、かつ4年制なので、旧制薬学専門学校は、女性では最高教育機関でした。

戦後でも、「代用教員」と言って、高卒の女子を集めていたらしく、高卒の方で、「先生になりませんか?」と打診されて、「断った!」と言う話を沢山聞いています。幼児教育や初等教育なら、高卒程度の学力で十分だということでしょう。

戦後にできた、地方の国立大学というものは、その地方の師範学校を中心に、近隣の旧制専門学校を寄せ集めて再編成したものです。旧制薬学専門学校と旧制医学専門学校以外は3年制でした。

ところが、戦後の新学制では、医学部・歯学部が6年制に移行したのに対して、薬学部だけ4年制で、再出発しました。「薬学部は、女性が多いので、お嫁入りが遅くなるから、4年制になった。」と聞いたことがありますが、真偽のほどはわかりません。

他の旧制専門学校と同様に、国立大学に併合されたところもありますが、単独の薬科大学で再出発したところもあります。旧制薬学専門学校は4年制だったため、国立大学に併合されたのでは、格下げになるからと聞きました。

このため、薬学部だけ他学部とは異なり、特別な存在となりました。

私の時代も、「たんす薬剤師」と言って、経済力がある親は、娘の嫁入り道具として薬剤師免許を持たせるがために、一生懸命勉強させたものです。

薬学部は、本来なら、6年制になるべきところが4年制だったため、勉強量が多く、質も高く、高学力の学生を少人数しか受け入れがありませんでした。

2002年以前は、当然、地方の国立大学(医学・薬学以外)くらいの学力では、旧制薬学専門学校を前身とする伝統校には入れませんでした。

募集定員が少なく、しかも大都会に集中しているため、医薬分業の急速な進展に追い付かず、地方は超薬剤師不足に陥っています。

このため、2002年以降、5年間に薬学部数が全国に2倍も新増設され、募集人員が供給過多となりました。地方の新設薬学部というところは、ほぼ、ボーダーフリー状態となっています。

このためか、看護婦さんと薬剤師さんが同等とか、看護学校と薬科大学が同等とか、嘘を教えられて、薬学部に入学し、退学を余儀なくされている学生がいかに多いことか、嘆かわしい限りです。

いくら募集定員が増えても、国は「薬剤師の質は落とさない!国家試験問題でいくらでも調節できる!」と自信を持って公言しています。

従来は、大学入試が関所であったものが、国家試験にスライドしただけです。

国家試験の受験資格を得るために、もし、学力が足りていないかも?と気が付いたなら、すぐにお声を掛けてくださることを願っています。

薬剤師になりたいなら、できるだけ早くから対策をたてることがお勧めです。

知情意そろった薬剤師を世に送り出すお手伝いをしていきたいと思っています。

2012年 秋